2024.07.01
(更新日:2024年7月24日)
硬券とは「こうけん」という読み方で、厚みのある紙で作られた切符であり、その存在感や歴史には多くの人から興味が寄せられています。
この記事では、硬券の読み方から、その特徴や歴史などの基礎知識について解説します。硬券の買取の現状についてもお伝えしますので参考にしてください。
目次
硬券とは、日付や乗車駅、降車駅などの必要な情報が活版印字された厚手の切符です。読み方は「こうけん」と読みます。0.7mm程度のボール紙のような厚紙で作られており、駅の自動改札機に通すことはできません。そのため、現代のオートメーション化されたシステムではあまり見られなくなりました。
その硬券は印刷や切り出しなど製作上の都合で、「A型券(縦30mmx横57.5mm)」「B型券(縦25mmx横57.5mm)」「C型券(縦60mmx横57.5mm)」「D型券(縦30mmx横88.0mm)」の4種類の規格があります。
日本では、明治初頭に東京と横浜間に鉄道が敷設された時から使用されており、非常に長い歴史がある切符と言えます。
現在、駅で切符を購入する際には、降車駅を専用のモニターから選び、その場で印字された切符を使用します。
しかし、かつてはそのような技術は当然なく、発駅と着駅が印刷された硬券を予め用意する必要がありました。そのため、非常に多くの種類の硬券を準備しておく必要がありました。
特に都心部の乗降客が多い駅では、多くの硬券を作成していましたが、一方で、鉄道の需要があまり見込めない駅では、いくつかの駅名を印字し、その中から不要な目的地をハサミで切り落として使用するなどの工夫がされていました。このような硬券は「準常備乗車券」と称されていました。
また、発駅や着駅が未記入で、都度手書きなどで情報を記載する「補充型乗車券」も当時は多く見られました。
しかし現在では、鉄道利用者数が増加し、券売機や改札機のオートメーション化が進んだため、日本で硬券を取り扱う鉄道は少なくなっています。
それでもなお、北は青森県の津軽鉄道、南は長崎県の島原鉄道など、全国のローカル鉄道では現在も日常的に硬券が使用されています。
では次に、硬券の歴史をご紹介します。
硬券が初めて使用されたのは1836年頃で、イギリスのニューカッスル&カーライル鉄道のミルトン駅駅長であったトーマス・エドモンソン(1792-1851)の発案によるものと言われています。
それまでは、薄い紙に手書きで発着駅名などを記載していましたが、鉄道の売上を把握する上で非常に効率が悪いものでした。そこで、エドモンソンは、厚手の紙に発着駅名や運賃、通し番号を印刷し、乗車時に改札ハサミで跡をつけ、降車時に回収するシステムを導入しました。
具体的には、切符に着駅ごとに1枚ずつ順番に番号をつけ、番号順に発券する方法でした。一日の終わりに残った一番若い番号と前日の番号を比較することで、発券枚数を把握するシステム(エドモンソン式)が、硬券の普及の始まりとされています。
この方式は、人力で券の番号を管理する必要があり、一度ずれると発券枚数の把握が大変でしたが、当時としては合理的な管理手法で、1840年代頃からイギリスをはじめとするヨーロッパ全体に普及していきました。
日本では、1872年9月12日に新橋から横浜間の鉄道が開通し、開業記念式典入場券が日本初の切符と言われています。
当時、鉄道技術の最先端であったイギリスから、鉄道システムの導入や技術支援を受けて日本でも鉄道が開業しました。その際、硬券の用紙や印刷技術、印刷機械などもイギリスから伝承されたとされています。
その後、鉄道利用の拡大や技術の飛躍的な成長、そして自動券売機の台頭をきっかけに、硬券から薄い切符である軟券に移行していきました。
さらに、ICカードシステムの導入により鉄道のIoT化が著しく進み、硬券は首都圏やその周辺の鉄道では姿を消してしまいました。
次に、硬券の特徴についてご紹介します。
硬券の大きな特徴の一つが、厚手のボール紙に「地紋」と呼ばれる鉄道会社特有の文様(パターン)が印刷されている点です。この地紋は、切符の偽造防止の役目を果たしています。
例えば、文字を削って目的地や金額などの字を改ざんしようとすると、背景の地紋も削れてしまうため、偽造を見抜きやすくなります。
また、地紋に映える鮮やかなインクも特徴的です。こちらは見た目の明快さだけではなく、切符専用の色を調合することで、偽造防止の役割も果たしています。
硬券の地紋とインクはデザインと機能の両立を果たしており、鉄道ごとに異なるため、硬券の大きな特徴の一つであると言えます。
硬券はまず厚紙に地紋を印刷します。そして、切符のサイズ(A〜D型)に裁断した後、活版印刷機で文字を一枚一枚印字していきます。
この活版印刷機は、分厚い硬券との相性が良く、組版を押し付ける力によってインクの濃淡やにじみが出るため、非常に味わい深い印字となります。
そのため、硬券の印字は職人の活版印刷の技が詰まった風合いのある文字とも言えます。また、ナンバリングされ日付が入った硬券は、当時の時代を想起させるロマンあふれる一枚とされています。
硬券のサイズについては、A型からD型まであり、どれも掌より小さいサイズです。これにより、収集家にとっても集めやすいという特徴があります。
また、名刺入れのような硬券専用の収納ホルダーも多数販売されており、収集の対象としても人気があります。
根室拓殖鉄道(1929年開業~1959年廃業)で使用された根室歯舞線の硬券
価値のある硬券とは、廃止された鉄道路線の駅入場券や現存しない鉄道会社の駅のもので、希少価値が高いものを指します。
具体的な時代としては、少なくとも今(2024年)から約50年以上前に使用された切符が主に該当します。特に、今では現存しない地方の軽便鉄道や明治時代や大正時代の硬券は高い買取価格が付けられています。
一方で、特別なイベント時に販売された入場券については、希少価値が低いことに留意する必要があります。例えば、令和5年5月5日のゾロ目の日や駅開業周年記念切符、天皇即位記念切符などは、発行数が多く市場に多く出回っているため、希少性が低くなってしまいます。
買取を依頼される方の中には、「当時の入場料が100円だった入場券は、現在では少なくとも50円の価値がある」と、切符に記載された入場料金が有価証券としての価値があると誤解している方もおられます。
しかし、その切符は当時の特定の駅に入場するためのものであり、今では使用することができません。そのため、市場ではその切符には価値がないと考えられています。
今回は、硬券の読み方から歴史や特徴などの基礎知識をご紹介しました。
硬券には、そのデザインや風合いからある種のロマンが詰まっていて、ある時代のものはコレクターにとって当時の背景を想起させるため、買取の際には需要がある商品とも言えます。
お客様のお手元に、場所や年代が不明な硬券がある場合や大量に硬券を収集していて価値がわからない硬券がある場合などは、お気軽に弊社、鉄道本舗にご相談いただければと思います。
鉄道本舗では、鉄道グッズ専門店ならではの高価買取で、「丁寧な査定」「親切なサービス」をモットーに、お客様に満足していただけるように買取サービスの対応をさせていただきます。
社長の石川自らが広告塔となり、自身の趣味である鉄道好きが高じて始めた事業であるため、社長の鉄道への愛情が満載の企業です。
また、「これって売れる?」と現地で相談しながらの買取ができるため、お客様との間に安心感と信頼関係が芽生えるのも弊社の魅力の一つ。多くのお客様に定評をいただいております。
<鉄道本舗の特徴>
鉄道本舗では、買取時に鉄道トークを交えつつ楽しく「売るもの・残すもの」が決められます。お客様が大切にしてきたものだからこそ、一緒に慎重に考えていきましょう。
そして、大切な鉄道グッズを真心を込めて親切丁寧に高価買取させていただきます。どんなお問い合わせでも、ぜひお気軽にご相談ください!