2022.02.08
(更新日:2022年2月16日)
鉄道本舗では長野県においても出張買取りを伺いさせて頂きますのでお気軽にお問い合わせください。※量が極端に少ない場合は出張買取りの対応が出来ない場合もありますのでその際はご了承下さい。
目次
長野県は長野新幹線(現、北陸新幹線)が開業して大きく変わった地域です。
長野新幹線開業前は信越本線に多くに特急が走り首都圏と信州・北陸を行き来する特急が多く走っていました。
現在、長野県内の特急列車は北陸新幹線と中央本線のあずさ・しなのとなっていますが、移り変わりを見ていきましょう。
信越本線は群馬県高崎駅から長野県の軽井沢や長野駅を通り、新潟県の直江津駅経由で新潟駅まで向かうルート。
また、上越線の清水トンネル開業前は首都圏から新潟へ向かう最短のルートとなっていました。
1888年に新潟県の関山と長野駅間が開業。1893年の横川と軽井沢間が開業したことにより長野県内が一本になり、首都圏と長野もつながりました。
1997年の長野新幹線開業により横川と軽井沢駅間は廃線となりました。
そのことにより現在の信越本線は一本には繋がっていません。
また、新幹線と並行区間は第三セクターとなっため、信越本線の名は群馬県と新潟県の一部のみとなっています。
中央本線は、東京駅日本列島の中心を通り、途中山梨県・長野県を経由して名古屋駅まで行く路線です。
1889年に新宿と立川駅間が開業し、1904年に韮崎と富士見駅間が開業し、1906年に塩尻駅まで延長したことで、首都圏と長野県が一本に繋がりました。中京方面は
1900年に名古屋と多治見駅間が開業し、1909年に塩尻と奈良井駅間が開業。1911年の宮ノ越と木曽福島駅間開業により、名古屋と長野駅間はつながりました。
現在でも、中央本線は首都圏・中部と長野県を結ぶ路線として特急電車が運行されています。
特急あさまは長野新幹線が開業するまで1997年までの間、上野と長野駅間(一部列車は新潟県直江津駅行き)を上下合わせて40本程運行されていた特急です。
特急あさまは国鉄型189系が運用され、車体はモスグリーンとグレーのあさま色として塗装されていました。
あさまが廃止後も快速列車などであさま色の車体を利用していましたが、現在は廃止となっています。
長野新幹線が開業するまで横川と軽井沢駅間は信越本線一番の難所となっていました。
最大66.7 ‰の急勾配が続くため、通過する電車は電気機関車と連結して運転する協調運転方式をとっていました。
この方式は日本で唯一この区間で実施。長野新幹線が開業する前日まで続いていました。
長野新幹線開業後は安全の確保のため、維持費が多くかかることからローカル線では維持できないため、同区間は廃線となりました。
この区間はEF63形の重連運転が見られる唯一の場所でした。
中央本線は山間部を通るため、カーブの多い路線となっています。
1966年の181系のボンネットタイプのあずさから始まり、183系・189系と進化していきます。
そして、1993年にデビューしたE351系が現在のあずさへ続いています。
E351系はJR東日本で初の制御付自然振り子装置を搭載した特急車両。
しかし、山間部を走るあずさは振り子式では乗り心地も悪くなり、次に登場したE257は振り子は搭載されない車両となりました。
改良を重ね、現在走るE353系は空気バネで車体を傾けることで、振り子式車両のE351系と同じ速度で運行しています。
今回は長野県の鉄道の歴史を紹介しましたが、山間部を走る路線も多く、風景が綺麗な路線も多くあります。
また、在来線特急も多く走るため、個人的には乗りたい車両が多く感じる県です。
今後も長野県の鉄道や車両から目が離せません。