2021.12.14
(更新日:2022年2月16日)
鉄道本舗では鉄道模型・鉄道部品を月間2000点以上を買取り・販売をおこなう実績があります。
和歌山県に買取りの営業所は無く鉄道買取りに精通した買取専門担当者が全国に出張買取りへ伺うサービスを実施しております。
和歌山県では過去に鉄道部品の出張買取り(0系新幹線のハンドル)実績があります。他にも紀勢本線で活躍していた列車の部品なども買取りをさせて頂きました。
和歌山における鉄道事業の歩みは、政治家の山口熊野という方が主導して行われました。
山口熊野は1864年、現在の和歌山県で生まれました。今も那智駅には頌徳碑が建立されており、紀勢本線の敷設に尽力した彼の功績が讃えられています。熊野は紀伊半島での鉄道建設の必要性を訴えて明治43年、国会に建議案を提出します。
そして大正8年に紀勢線の着工が可決され、それから路線は着々と延伸を続けました。昭和34年には和歌山市〜亀山の全区間が開通。また大正5年には日前宮・竃山神社・伊太祁曽神社への参詣を目的として貴志川線が改行されました。
神道熱が高かった当時は沿線住民の足としてよく利用された南海貴志川線。しかし時代を追うごとにその利用者が減少してしまいます。
話は大きく飛びますが平成17年に両備ホールディングスの小嶋光信社長が和歌山電鐵を設立して南海貴志川線を引き継ぎます。両備ホールディングスは交通や運輸を扱う会社であり、小嶋社長は地方におけるバスや鉄道の再建を積極的に手掛けています。
そのため「公共交通の救世主」や「地方公共交通の再生請負人」としても知られている方です。貴志川線が和歌山電鐵に引き継がれてからは徹底した合理化や、改装電車の発表など新企画を展開していきました。
さらに2007年には貴志駅の売店で飼われていた猫のたまを駅長として抜擢します。これには和歌山電鐵に移管したあと貴志駅が無人駅となってしまったことも背景としてありました。
たまが貴志駅長として就任した後は来場者がたちまち増加。乗車率アップにもつながりました。実際たま駅長就任後は貴志駅の乗降客数が17%増加、2007年ゴールデンウィークの収入は前年同期比40%増を記録。
就任後の1年間でたま駅長による和歌山県への経済波及効果は11億円に達したという研究結果もありました。また貴志駅には年間6万人以上の外国人観光客が訪れるようになり、たまの生誕18周年となる2017年4月29日にはGoogleのトップページがたま駅長仕様となったことも。
たまの登場が火付け役となり日本では空前の猫ブームが起き、ネコノミクスという造語も生まれました。残念ながらたまは2015年に亡くなってしまいましたが、現在はニタマとよんたまが後継者として駅長を務めています。
和歌山電鐵ではたまの功績にあやかり、たま電車というラッピング電車が運行しています。他にも和歌山電鐵では貴志駅周辺の特産品であるイチゴをモチーフとしたいちご電車や、おもちゃ箱をイメージしたおもちゃ電車といった車両も有名です。
特におもちゃ電車は座席に木馬のような部品が取り付けられていたり、ベビーサークルが置かれているなど非常にユニーク。さらには連結面付近にはギャラリーが設けられており、さまざまな種類の玩具やフィギュア・プラモデル・鉄道模型などが飾られています。
カプセルトイ自販機のコーナーもあり、和歌山電鐵オリジナルグッズも販売されていました。